【人生の転機はいきなり訪れる】37歳で人生の転機に出逢った話

人生論

こんにちは、いくつになっても”自分らしく”をテーマに素敵に輝くを導くYUKIEです。

今日は、私自身が体験した、人生の転機が訪れて人生が好転していった話を
お伝えしようと思います。

30代だから、40代だからと年齢であきらめる必要はどこにもないということ。

必ず、人生には転機が訪れ人を好転させるよう計らうものなのです。
ぜひ、ご自身の中での転機と照らし合わせながら
読み進めてみてください。

どこにでもいる主婦が体験した人生の転機です。

youtubeでも同じテーマで動画を作っていますので
覗いてみてくださいね^^
【37歳で訪れた転機】

【37歳の転機】誰も知らない土地への移住

私たち夫婦は、猛反対の末に結婚しましたので
結婚当初もそれはそれは、大きな転機だったのですが

主人の仕事の関係で宮崎を選んだ時に
私たちの転機はすでに始まっていたのかもしれません。

私たち夫婦は、2007年に福岡県から宮崎県に移住をしました。
特に友人がいるわけでも、親戚がいるわけでもない
宮崎の山深い小さな村に。

家族でいれば何も問題なんてないと思っていたんですね。

自分がぶれなければ問題ないと本気で思っていました。
ところが、子どもというのは成長して大きくなっていくじゃないですか。
子どもたちの関りがどんどん変化していくわけなんですよね。

要するに”ママ友”と言われる存在が嫌でもできてしまうわけなのです。
うまく距離を取ってやっているつもりだったのは
どうやら私だけみたいだったようです。

村での祭りやイベントにあまり参加しないでいると
子どもが会話に混ざれないと言っては
参加を促されました。

なくなくイベントなども参加するようになって
子どもたちが仲良くしていた矢先
ママ友たちの態度が急に変化したのです。

【37歳の転機】ママ友とのトラブル

急に、誘いも断られるようになり、誘ってくることもなくなり
子どもたちも遊ばなくなって
さみしい状況は続きました。

ようは、無視されてるということですね。

こうやって、良くは感じませんが転機が訪れたということです。
私が、意を決して本人に尋ねようと思ったきっかけがあり
それは、遊ぶ約束をしていた子どもたちだったのですが
待ち合わせ場所に行ったらうちの子どもたちだけ近所の男の子と遊んでいて
どうしたの?と訊くと

『約束していたのに来なかった』といって
仕方なく別の子どもたちと遊んでいたんですね。

その後、帰り道、もともと約束をしていた友達が1人のこの家に集まって遊んでいたことが発覚。

完全にのけ者にされていたことがわかりました。

私は、怒りもこみ上げましたが
それとは別に虚しさを覚えました。

知らない土地で、子どもたちと関りを築いてきて
遠慮遠慮しながら生活してきたことが
全て裏目に出たように感じたのでした。

福岡へ帰りたい…という思いと
『田舎暮らしはいいね』と満喫している主人に申し訳ないのと
子どもたちがただ、楽しく過ごせればと思っていただけなのに
こんなことになるなんて思ってもみなかったのです。

今思えば、まさしく人生の転機に差し掛かっていることは明確なのですが
なんせ、あまりにショックで自分のことを客観視できずにいました。

そして、そのママ友に尋ねたのです。
『私、何かしたかな?何かしたのなら謝るから言って?』と。

すると、なんて返ってきたかというと
『ちょっと重かっただけ』
と。

誘っていたのは、私だけではなくあちら側もそうだったはずなのに
重いってなんなの??
と、かなりのショックを受けました。

後から、別のグループにいたことで
私との関り自体、バランス取れなくなっていたということを
他の人からききましたが

人間不信になるほど驚いたことでした。

【37歳の転機】まさかの方向転換

そして、どこの家族とも距離を取り、放課後や週末は私と3姉妹でいることが増え
暗い気持ちでいることもそういうことがあったということも主人に相談できない日々が8カ月続きました。

ママ友のことを話すことで、愚痴を言うようで
仕事から疲れて帰ってくる主人に申し訳なくて言えずにいたんですね。

そんなこんなで話さずに8カ月が過ぎたころ
ようやく主人が私の元気のなさに気づき訊いてきたんですね。

『最近、元気なくない?どうしたの?』

私は、話すつもりがなかったのに
溜めていたものが一気に溢れ
大粒の涙を流していました。

一通りすべてのことを話して
落ち着いとき、主人は一言私に言いました。

”福岡へ帰ろう”

私は、正直驚きました。極力お金がかからないよう子どもを育てて
しっかり節約しようと言っていた主人から
福岡へ帰ろうという言葉が出てきたわけですから。

私は、その瞬間

「いや、私は宮崎に来て何もしていない」

と言いました。
私は、いつも自分の価値というものを求める癖があり
宮崎に来たこともなんでだろう?って思うところがありました。

特に、何か目標があったわけではないのですが
私自身、コンプレックスがあり
パソコンをさっぱり触れないことがいつもネックになっていたのです。

この時、私は自分自身が変わるための転機だと思いましたね。
ようやく重い腰が上がり
自分ができないことを克服するときがきた!と思いました。

嫌な嫌な”ママ友トラブル”から一変、
自分自身のトラウマを克服する流れになったのです。

そこからの快進撃はなんとなく想像してもらえますか?笑

私は、パソコンを学ぶために
アルバイトを探し、三女の保育園の手続きをして
いよいよパソコン教室への手続きも済ませました。

打ち明けた日から、ひと月も経ってないと思います。
転機の流れに乗った瞬間でした。

【37歳の転機】転がるように人生が動き出した

山奥の村に住んでいた私は、パソコン教室を片道60キロ以上ある少し大きな町で選び
月に20時間コースを選び、通い始めました。

実は、このパソコン教室を選んだことは
私の人生をまるまるっと変える、人生最大の人生の大転機だったわけです!!!!

ここでの出会いは、私も家族も大きく変化させました。

パソコン教室の先生の教え方が本当に神過ぎて
超初心者の私がまさかの8カ月で2種検定1級を取得したんです。

あんなに苦手で触ることすらできなかったパソコンで1級を取るなんて。

昔の私を知っている人が、今パソコンで仕事してるなんて言ったら
めちゃくちゃ驚くと思います。

これは、転機以外何物でもなく大転機だったわけです。

そして、これだけではなく
なんとこのパソコン教室の先生の名刺に【メンタルコーチ】と書いてあり
人生最大級のスキルとの出会いがあったわけです( ゚Д゚)!!!

コーチングに出逢った….

会話のスキルで有名なコーチングの資格を持つ先生だったわけです。
本当に運命を感じましたし
ママ友トラブルにこの時ほど感謝したことはなかったですね。

私は、そこからコーチングの勉強に猛烈にはまりました。
楽しくて楽しくてたまらなかったのです。

こんなに楽しい時間が待っていたなんて
誰も知らない宮崎でこんなことになるなんてーーー!と。

コーチングの学びはお安くないので
その時、チャレンジのつもりでセールスのお仕事につきました。
ここでもコーチングを活かして頑張ろうと思いました。

そして、成績もグングン上がったのですが
転機はとめどなく降ってきます。

私に、”起業”というお誘いがあったんですね。
【コーチ】として独立してやってみないか?という話でした。

どうやればいいのかわからなかったのですが
目の前に出てくるいくつもの階段を
自分の感情で選び、進むことにしました。

何とも言えない知らない未来にワクワクしてドキドキしました。

人生の転機って本当にあるんだなーって。
私は、そのまま起業という道に進み
今では自宅でパソコン抱えお仕事しています。

パソコンが全く触れなかった私の転機は
トラウマを克服するためだけに学びに行った先で
今の道に続く人生初の心からのめり込んだコーチングに出会ったことです。

【37歳の転機】まとめ

37歳の時、ママ友トラブルでそのまま福岡に帰っていたら
出逢うことのなかった未来があったわけなのですが

いかがだったでしょうか?

人生は、本当にわからないもので
突然目の前に階段が現れたり、分かれ道が現れたりするものです。
でも大切なことは、自分の感情で感じたまま選び
ワクワクしていくことだと思います。

私は、嫌な出来事から
流れるように転機を手に取り流れに乗って今の自分になりました。

嫌だと感じること、そのことでどうしたいのか考えることで
道は開けると思っています。

さぁ、自分の転機に意識を向けて自分の気持ちに正直に
進んでみてくださいね^^

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